2012年 増田町物産流通センター(当時)
明治期、増田町の地主や商家の屋敷割は例外なく短冊型敷地が多かった。表通りに玄関や店舗を構え、本屋に接した屋敷奥に宝物庫、座敷が配置された内蔵(土蔵づくり)が建立された。 夜になると各家々ではその内蔵に灯りがともり、その光景が螢が舞飛ぶ光景に見えたことから、周囲の人々は増田町を「螢町」とも呼んでいた。「蔵螢」というネーミングはそこからきている。 商品には物語りが必要。そこにモノを超えた固有な価値が生まれる。